2000年 Risys&M-FACTORY
鈴鹿8耐でもこんな記者会見が開かれることもないご時世に、派手にやってしましました(^^; 昨晩というか明け方近くまで、必死にマシンにステッカーを貼りましたが、実は中身はドノーマルなんです(^^;
プレ耐では薄氷のポールトゥウィン。マシンの足りない分のパワーはライダーのマンパワーで補っています
ラップボードの一番上に輝くゼッケン81番! 末広がりの88番は? 実は先にほかのチームに取られちゃって、この年は“末広がりで1番!”という欲張りなゼッケンになりました
ライダーは3人なのに、キャンギャルは4人という豪華な(?)布陣でポールポジションのグリッドへ。2分1秒台の予選タイムも、決勝序盤のCBRとのバトルもさすがは亀作大明神の走りでした
ピット作業も手馴れたもの。もて耐は1分以上のピットストップが義務なので、携行缶でトポトポと給油作業。たまに溢れます(^^;
 昨年の派手なレース展開で(?)、各チームにマークされる強豪チームのひとつと数えられるようになった我がチーム。「今回はリベンジマッチだ!」と、体制作りは年明け早々に動きだしていた。この年にさらに注目されることになったのが、スポンサーの獲得とその発表記者会見が半蔵門にあるホテルで行われたことだ。いわゆるネットベンチャーとのジョイントで、記者会見の会場には二輪専門誌のほかスポーツ新聞や経済新聞など、様々なジャンルのマスコミが軒を連ねた。余談だが、記者会見を行ったホテルの広間ではあのGLAYがコンサートツアーの記者会見もやったという……。翌日のトーチューには派手に載るは、広告も各二輪専門誌に記者会見の写真で載り、目立たない方がおかしいくらいの展開に、チームなりにはプレッシャーを感じていた……と思う。

 チームではライダーラインナップの変更があった。下川がゴルフのプロテスト受験のためシートを降り、代わりに前年はアドバイザーとして参加した亀作和哉がレース復帰を果たすことになった。亀作はRTミズシマから、ロードレースの名門であるSP忠男を経て全日本にも参戦したミズシマOBの出世頭。耐久レースでの成績も良く、マシンのセットアップにも定評がある。2サイクル、4サイクルを問わず、相方よりのセッティングがされたマシンでも器用に乗りこなす才能は3人のライダーが1台のマシンを使用する耐久レースでは最大の武器となる。本橋が天才肌のライダーとするなら、亀作は秀才肌のライダー。ちなみに藤澤は"目立つ本番になると滅法強いライダー"か?(実際、予選より決勝中に自己ベストを更新するのだ)。

 レース関係者から見れば本橋、亀作のダブルエース体制に、スポンサー獲得と「とにかく行動が派手」なチームであったが、中身は昨年となーんにも変わっていない。"気持ち"予算が増えたので、待望の大型ラジエターが買えたり、昨年はノーマルだったエンジンをちょこっとチューニングできたりと"プチ贅沢"が出来たくらい。なにせ、前哨戦のプレ3時間耐久でポールトゥウィンこそ果たしたが、上位チームでノーマルホイールを使っていたのはうちくらい。表彰台前で勝ったうちのR1を見ていた某全日本トップチームの監督とチーフメカに「これ、ノーマルホイールじゃん?! 目立つチームなんだからマグホイールくらい買えよ」と、これを書いている担当は言われてしまった。色を塗っておけばバレないかな? と思っていたのに……。スポンサーを獲得したとはいえ、その予算のほとんどはチーム運営費。マシンは昨年使った1999年型YZF-R1に、2000年型のスペアエンジン(事故車からゲッツ)を交互に載せ変えて使用。いくら見た目が派手でも優先順位をつけて買い物しなきゃいけないんですから。ライダーからも「ノーマルホイールでも軽いしバランスも良いから、別に後回しでもいいんじゃない?」てなわけで、ホイールはノーマルのままなんです。

 で、上で先に書いてしまったが、3時間のプレ耐はポールトゥウィンを果たした。しかし新型CBR900RRを投入してきたホンダ系チームの速さに終始苦しめられた。トップスピードで有利なR1の特性と、最終セッションで亀作がバックマーカーを巧みに使いなんとか優勝できたというのが本音だ。2位のハルクプロとの差はわずか0.247秒?! 耐久レースとは思えない接近戦を終始繰り広げていたのだ。最終セッションを亀作と戦ったハルクプロの安田選手(当時は国内ライセンス。現在は全日本を走っている)は普段GP125を走っており、ビッグバイクのレースはこのときがはじめてだという。それだけ新型CBR900RRは乗りやすいということになるだろう。今回は亀作の経験値と、R1のトップスピードで勝てた部分も大きい。本選になれば、新型CBR900RRは大量に参戦してくること考えるとかなり厳しい状況になるのは必至だ。

 とはいえ、勝ってしまえば各チームはもちろん、あっちこっちいろんなトコからのマークがきつくなってきた「もて耐」。しかし、そんな周囲の目とは関係なく、予選ではダブルエースの本橋と亀作が見事にやってくれた。この年から国内ライセンスライダーのみで行われる予選で本橋、亀作とも組別1位と完全ポールポジションを獲得したのだ。しかもファーステストタイムは第2ライダーの亀作が2分1秒668というスーパーラップを記録したのだ。前年の予選では本橋が国内ライセンスライダートップタイムを叩き出しており、国内ライセンスライダーだけの予選で考えれば"二年連続"。昨年のプレ耐から数えれば"4戦連続"のポールポジションというわけだ(都合よく解釈すればってことで^^;)。大会三連覇を続けるTSRの対抗馬として名乗りを上げた。しかし、一気に勢力地図を塗り替えてきた新型CBR900RR包囲網は強かった。スタートから亀作がトップに立ち、一気に勝負に出たがぴったりと後続にオザワR&D、桜井ホンダ、チームイワキ、そしてTSRとホンダ系トップチームが続く。ルーティーンのピットに入るだけで、一気にポジションを落とすというハイペースで熾烈な戦いとなった。

 しかし2時間を過ぎたところで、信じられないトラブルが襲った。6位走行中の107周目、なんとガス欠でマシンがコース上でストップしてしまったのだ。緻密に計算した燃費を間違えたのか? ハイペースな展開に必要以上に燃料を消費したのか? リアブレーキが引きずって燃費が悪くなったのか? なにが原因なのかは考えたくもない悔しさがチームを覆った。これにより順位は大きく遅れ、さらにペースカーが入った際のピットクローズドのタイミングに苦しめられ、最終結果は20位に終わった。

 200台近い参加台数を考えれば、上等な順位だが、スポンサーがキャンギャルやイベント用にステージになるトラックまで持ち込んでいた派手なチームということを考えれば非常にビミョーな順位。とりあえず、ポールポジション賞やら目立ったのでチーム的にはヨシとしよう?
 この年の11月、筑波で開催されたエリア選手権SBクラスに再び本橋が出場するが、得意の雨にも恵まれたが残念ながら決勝はマシントラブルに終わった。
この年のシーズンオフ、ライディングスポーツ誌の取材で元GPライダーの沼田憲保選手が我がR1を試乗しました。本橋セッティング(イケイケ仕様)のままだったので、沼田選手にはポジションなどで少々しんどかったみたいです
もて耐プロジェクト
1999年 2000年 2001年